mayaarabgirl’s diary

ハラー娘日記 こと、アラブの荒ぶるエッセイブログ

ハラー娘日記② アラブハーフのダメダメムスリマ日記


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エジプト人の父と日本人の母との間に産まれた、いわゆる「ハーフ」の私は、なぜか4歳になっても上手く言葉を話すことが出来なかった。

母はそれが我慢ならなかったらしい。

「こうなったら、ロイヤル幼稚園(お坊ちゃまやお嬢様が行くような幼稚園)に行かせましょう。ここだったら、卒園するまでに文字の読み書きや、さんすう、それにスポーツも、全てが鍛えられるわ。」

母は父にそう言い放ったが、父は乗り気ではなかった。

 

「ロイヤル幼稚園!?そんなお金、うちにはないよ…」

そううなだれる父を母は鼻で笑うと、母は私を見ながら、

「見なさい。この子を。いつも黙っていて、忘れん坊で。このままじゃ、この子は勉強なんて一生出来ないわよ。それに、お金ならじいじ(私の祖父)に頼むから、大丈夫。役に立たない金なし外国人に初めから期待してないわよ。」と言った。

母にここまで言われても、父は言い返せなかった。母の言う通り、安定した職がなかったからだ。

こうして、私のロイヤル幼稚園入園は決定した。

私にとって、それは初めての「外の世界」であった。早速教室に入ると、同級生の子供たちが一斉に私を見た。そして、ザワザワとし始めた。

 

 

…? 私は訳が分からず、とりあえず床に座って絵本を読み始めた。話すことが苦手でも、絵本を読んだり、相手が何を言っているのかは理解ができた。すると…

「おい、ガイジン」 誰かが、そう言った。思わず顔を上げると男の子たちと女の子たちが数人、私の方に歩いて来た。

「名前は?」 ツインテールの可愛い女の子が尋ねてきた。

「マーヤ…」

私が答えると、皆はクスクスと笑いだした。そして、ジャイアン風の男の子が 「お前の名前はまっくろくろすけ(トトロのやつ)だろ、ガイジン!」 「まっくろくろすけ!ちゃんとお風呂入れよ!汚い奴!」

もう1人の男の子がそう言うと、 クラスがどっと笑いに包まれた。私は訳が分からなかった。 そして、生まれて初めて自分の顔を鏡をまじまじと見た。ギョロギョロとした大きな目、浅黒い肌ー。

(私、皆と全然違うー。)

私は何だか急にそのことが恐ろしくなり、鏡を慌てて閉じた。今まで、自分の容姿や家庭が普通じゃないなんて考えたこともなかった。 鏡を見ても、特に何も感じなかった。私は、外の世界では異質であった。 自分で気づく前に、それを周りは先に気づかせた。

 

ゴシゴシゴシゴシ

その晩、私はお風呂で身体をこすり続けた。肌の色が「汚れ」なら自分で落とせるかもしれない。でも肌はヒリヒリ真っ赤に痛むだけであった。

自分の「ハーフ」というアイデンティティについて、幼稚園生の時点で、私はすでに考えなければならなかった。

幼稚園は地獄と化した。 

そして、あるお昼休みに事件が起こる。私が1人で隅の方で砂遊びをしていると、ジャイアン風の男の子がテクテクと近づいてきた。私は身構えた。

「おい、ガイジン」

私は返事をしなかった。

バシャッ。

それに腹を立てたジャイアンは砂を私の顔に投げつけた。

「痛い!」砂が目に入り、涙が出る。そんな私に構わず、

「隠れんぼしようぜ。お前が鬼な。」

いつものパターン。いつも私が鬼。でも、今回はいつもの私とは違った。

「嫌だ!」私は拒否をした。 「何だと!」ジャイアンも負けない。

もう限界だった。「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だぁぁゲーッ」

気がつくと、私はジャイアンの顔に、マーライオンのごとくゲロを噴射した。

シーンとなったが、次の瞬間。「ゲーッ」今度はジャイアンのもらいゲロを私は喰らった。

次の日から、私は何も言われなくなった。 

それでも、私は安心できなかった。「私は皆とは違う」その事実は重く、私にのしかかり続けるー。 (③に続く 

 

ハラー娘日記① アラブハーフのダメダメムスリム女子の記録

 

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これは、日本で生まれた、とある中東ハーフの本人にとってはとても壮大だが、且つ

どうでも良いような非日常に溢れた人生を記録するための手記である。

死にながら生きて、生きながら死んで、何度も生き返ったとある女の物語…始まり始まり…

 

私の生まれてすぐの記憶。

それは母の、大きな、大きな手だった。

バシッ。バシッ

理由も分からず、何度も何度も叩かれる。母はかなり怒っているようだが、なぜなのかが私には分からない。どうやらこれは、「躾」というものらしい。私はいつも恐怖で泣き叫んでいた。

アラブ人の父は、日本に来日したてでろくに稼ぎもなく、日本語学校と職場を往復する、せわしない毎日だった。だから家には母と2人きり。私は毎日、父が早く家に帰って来るのを待ち望んでいた。 

父と母は、エジプトで出会い、現地で恋に落ちた。当時の父は、今と違い毛髪が豊富なバリバリのビジネスマンで、体重100キロの巨漢ではあったが男前だったらしい。

今はハゲにハゲ、ダイエットとラマダン(イスラームの断食)により痩せに痩せ、エジプトの家族は父が不治の病にかかったのではないかと心配している。

とにかく、2人は結婚して、父はムスリムなので母も結婚した当初は一応ムスリマとなったものの、私を産み、日本に帰った途端さっさとムスリムを辞めてしまった。イスラームの教えには、無理やりムスリムにさせることはハラーム(禁止行為)とある為、父も嫁とは言え強くは言えず、黙認していた。私にも当時は何も教えなかった。

というもの、私はなぜか4歳になっても言葉をまともに話すことができず、勉強なんてもってのほかであった。内気で泣き虫で、いつもアンパンマンと絵本漬けの毎日であった。そしてよく転び、物覚えも悪かった。

そんな私がなぜかロイヤルな幼稚園に入園することになり、嫌でも「外の世界」というものを知ることになる。